2008年2月10日
先日、塾にお礼に伺ってきました。
たくさんの先生方が、満面の笑みでいも子を迎えて下さいました。
祝福の嵐の中、いも子も、本当に嬉しそうに先生方とおしゃべりしていました。
合格ってありがたいな~と素直に思いましたが、
あね子のときはそうは思えませんでした。
塾の先生も「おめでとう」よりも、「申し訳ありませんでした」が前面に出ていました。
あね子の学校もそう簡単に入れるわけではありません。
それでも、1校いただいた不合格が重いのですね・・・
あのときは、塾にとってもそうなんだなって思いました。
受験が終わって、今週くらいから合格者の招集日がありますね。
あれが終わるまで、私はどんよりとした気分で過ごしていました。
中学受験って、その意味では本当に特別です。
大学入試は本人が敗因も勝因もはっきり自覚できます。
自分がやっていないこと、わかっていないこと、当日上がったこと、
すべて18歳には把握できると思います。
私は共通一次の終わり頃の世代ですが、自己採点のときも、
自分のミスは自分が一番良くわかっていましたね。
高校入試もそうです。
私は地方の県立高校と私立高校を受験しましたが、
当時の高校入試は難問はほとんどなく、それほど勉強した記憶もありません。
わからないのは内申書の内容くらいだった気がします。
でも、12歳の受験はそれが難しい。
敗因も勝因も親には想像でしかない部分があります。
自分の命より大事な子どもが不合格をいただいて傷ついたと思うとたまりません。
そして、当然ですが、
今の時期は合格したお子さんにスポットライトが当たってしまっています。
合格の裏に何倍もの不合格者がいるのに、
合格した人の声しか聞こえてこない状況があります。
特に、自分の子どもが一度も負けたことのないお子さんが合格していたりすると、
子どもよりも親の方が参ってしまいますね・・・
なぜうちの子が・・・という気持ちにさえなります。
あの時塾を変えればよかったとか、
あの時家庭教師までつけてやらせるべきだったとか、
志望校をこちらではなくあちらにしておけばよかったとか、
あの講座をとらないで補強をすればよかったとか、
んもう、親の悩みは尽きません・・・
これは子どもより大きいと思います。
子どもは傷ついて泣いたかもしれませんが、切り替えは早いものです。
親です、辛いのは・・・
合否は紙一重です。1点に何十人も並ぶんです。
試験当日の問題が解けたか解けなかったか、
最低点に届いたか届かないか、それだけの違いです。
当然ですが、学力が高いか低いかの差ではありません。
でも、そんなに簡単には考えられませんよね。
12歳の子どもが3年もの間塾通いをしてきた・・・
子どもの人生の4分の1ですよね。
犠牲にしてきたものもあったのに・・・頑張ってきたのに・・・
報われない気持ちになります。
私は、あね子の学校に足を運ぶたびに少しずつ傷が癒えていった気がします。
入学者のガイダンス、入学式、懇談会・・・・
先生方や保護者の皆さんとお話するたびに、
「あ~ここでよかった」と思えるようになりました。
そして、あね子が楽しそうに通っている姿を見ると、
「ここに通うために受験があったのだ」とさえ思えるようになりました。
それでも、いも子の受験の中で、ときどき思い出すことがありました。
ほとんどは「この親では合格させられないのではないか」という思いと、
「また不合格になっていも子が悲しい思いをするのではないか」という怯えでした。
でも、それは不合格をいただくという事実に対してであって、
いも子が不幸になるという心配ではありません。
このことだけは、二人目の受験だということが生きたと思っています。
あね子の経験があって、不合格は決してマイナスではないと実感しているからです。
ご縁のあった学校がきっと幸せな時間を下さると思っています。
たとえどんな結果であろうとも、ここまでこれた、受験を終えた子どもを
褒めてやりたいと思いますし、胸をはって欲しいと思います。
親の気持ちはそう簡単には切り替えられないかもしれません。
理屈では割り切れないものもあります。
でも、きっといい経験になります。
親が前をむくことが、子どものために、きっといいと思います。
♪♪♪
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